Shall we dance?

強く儚い桜色の貴方へ。

2022.11.30

 

 

 4月から私生活の環境が変わったこと、また、これまでアイドルといえばJUMP一筋だった私が少しだけ他にも目を向けるようになったことから、ココ最近、今までよりはJUMPにかける時間が少なくなっていた。

 しかし、その中でもJUMPに対する熱量が冷めることは全くなく、今までとは少し違った角度から、「自分にとって“自担:知念侑李”とはどんな存在か」ということを再定義しようと試みてきた。まだ確実な答えが出たわけではないが自分の中である程度納得のいく結論に落ち着いたので、この機会にちゃんと文章化してみようと思う。

 

 「自分にとって“自担:知念侑李”とはどんな存在か」を考えるにあたって、まずは自分が知念さんのどんなところが好きなのかを明確にしておこうと思った。知念さんのダンスも好きだし歌声も好きだし、パフォーマンスも楽曲の解釈も好き。もちろんお顔だって大好きだし小柄な身長だって愛おしいし、身長の割に広い背中にもドキドキしちゃう。丁寧で穏やかな言葉遣いも、誰かを気遣い寄り添うことのできる温かな心も、頭がキレッキレでユニークな考え方をポンポン出してくるところもカッコいい。

……などなど、色々と考えていった結果、「私は自担の『生きざま』が好きなんだな」という結論に落ち着いた。(いちオタクが知念さんについて知ってることなんて顔と名前くらいしかないという前提のもとではあるけれど、)見た目とか性格とかパフォーマンスとか、考え方とか生き方とかアイドルとしての在り方とか、そういうものを全部ひっくるめて「生きざま」が好き。オタクに見せてくれる姿、見せようとしてくれる姿、全部愛おしい。

 

 では、それを踏まえた上で、私にとって“自担:知念侑李”とは、どんな存在なのだろうか。真っ先に浮かんだのは「人生の指針」という言葉である。重すぎる。アイドルに背負わせるにはあまりにも重すぎる。でも、そこまで重い意味合いではないにしろ、私が日々生活する中で「知念さんはこう仰っていたな」とか「知念さんだったらこの事態をこう捉えるだろうな」とか、前に進むための指針として知念さんのことを思い出すことが多いように感じる。

 私の中では、知念さんのことをかなりポジティブで楽観的に物事を捉える人だと思っている。私自身は対照的で何事もネガティブに悲観的に捉えてしまうところがあるので、シンプルに彼のその明るさが羨ましいし、また、ことあるごとに救われている。何事にも楽しんで取り組む知念さんに憧れて、自分の取り組むどんなことにも「楽しさ」を見つけることを心掛けるようになったり、「頑張ります」より「楽しみます」を使うようになったりしたことで、かなり生きるのが楽になったと感じる。小さなことかもしれないが、知念さんの生き方を参考にすることで毎日かなり心が軽くなっているという点で、知念さんは私の人生の指針なんだろうな。もちろん知念さんの考えだけが正義じゃないし広い視野を持つことだって必要だけれど。

 

 長々と書いてしまったけれども、とにかく、私は知念さんの生きざまが大好きだし、これからもずっと知念さんの見せてくれる「知念侑李」を見ていたいし、どんなにしんどくても知念さんの存在に毎日救われてるよってことを伝えたかったブログです!

 

 知念侑李さん、29歳のお誕生日おめでとう!楽しく健やかな一年になりますように!